続 リュックの軽量化。
少し前にリュックの軽量化についてかんがえてみて、結局これにれにしてみた。
WALNEW MacBook Air11インチカバー ケース 封筒型カバー レザーカバー 縦型収納バッグ 上質なレザー マックブック対応レザーケース アップルポーチ/レザーポーチ,コーヒー
MAC用のスリーブケースみたいだけどYOGA BOOKでも問題なしで大満足。
ノートパソコンを入れるだけでフタやジッパーもなしの封筒型。大きさもぴったりでスムーズに縦向きに出しいれができるからケースごと取りださなくても大丈夫。リュックの軽量化というよりはリュックの嵩張りをなくした形になった。パンパンにふくらんでたリュックがカッコ悪くてちょっとなんだかなと思っていたけれどこれでいい感じ。
マウスやコードなんかはひとまとめにしてポーチに入れてみた。
この蓋みたいなペラペラはマウスパッドとして使うらしい。
自分にしては珍しくピンクをチョイス。カバンの中が暗いと中からお目当てのものが見つけにくいというのに最近気がついてリュックも裏地は明るい色味にしてみた。これもちょっとした時短。
リュックはアネロの合皮のを使ってる。まぁこれ自体が少し重いんだけど見た目が好きだし、口がパックリ開くから中からとりだしやすいのも魅力だとおもってる。
臨床実習
たまに実習で自殺者が出る。最近こうやってニュースになるようになったが、昔から、どこの学校でも数名はその長い歴史の中で、黒歴史があるものである。今ほど公(おおやけ)になってなかっただけのことである。
私の通っていた学校でも、学生寮に入ると実習が辛くて自殺した先輩の話が脈々と語り継がれてきた。「106号室の先輩は作業療法士科で・・」「204号室の先輩は何期生で理学療法士科で・・・」一年生が学生寮に入ってくると必ず誰かしらが下級生に語り継ぐルーティーントークになっていた。
医療系の資格の実習は、理学療法士だけなく、看護師、医師、そのたの職種でも大量の自殺者、精神病患者を生み出している。
死者が明るみに出た以上、何か対策を取らなければならない。それは、当然そうだろう。死者はいかん。死者は。未来のある若人が死ぬのはダメだ。
しかし、ある一定の実習=修行の構図は、決して悪いものではないと個人的には思っている。
学校の指導要綱には、「一人で理学療法がおこなえる」「少しの助言で行える」等の学生に対する評価基準が設けられているが、教えるバイザー(学生担当療法士)が勉強できる人であればあるほど、評価は厳しいものとなる。しかも、学生レベルで、バイザーの助言無しで理学療法がおこなえるほど、甘い学問ではない。
逆に全く勉強していないバイザーが適当に学生に対してなーなー、お友達感覚で実習を合格させ、何の勉強もしていない学生が次の春から患者を診る事態になるのもなんだかな~。である。
バイザーの質がいつも問われているが、医師ほどのステータスがあるお勉強のできる人たちでさえ、精神を病むのが臨床実習。よく、学歴でバイザーの質を推し量ろうとするが、ならばなぜ、医師の実習でうつが25%もいるのかを考えなければならない。
実習は厳しいものである。当然である。疾病や障害を熟知して治療にあたらないと障害が取れない。療法士で言うならば、寝たきり患者を大量に作ることになる。
疾患別リハビリテーションでは、治療期間が最長でたった6か月間しかないのに、その貴重な期間を治りもしない理学療法や作業療法を受けて、人生を棒に振ってしまう患者さんたちの気持ちを考えると、いたたまれない。結果を出せなかった療法士たちはどうやって責任を取るのか。
自分が障害を負って、治りもしない治療を受けさせられることを想像してみてください。そして、手遅れの時期に入ってから、別のところで見てもらおうにも、もう、保険適応期間が終わってますので、医療保険では治療できません。って言われちゃうんですよ。患者は病院選びを絶対に失敗できないんです。いくら医者が高名なところでも、療法士の腕がなければ、寝たきりになってしまう。なので、実習は手を抜くべきではないと個人的には思っている。
とはいえ、療法士の臨床実習には問題も多い。
医師や鍼灸師は免許を取ってからしか臨床実習ができない。
しかし、理学療法士の場合は、免許がない状態で臨床実習を行い、実際に患者さんを治療する。ここに大きな問題がある。
鍼灸師でさえ、免許を取ってからの実習でしか針は患者さんに打てない。打たしてもらえない。免許のない実習では、先生のアシスタント程度である。
一方療法士はどうか、保険点数を払っている、患者さんに対して、無免許の学生が治療にあたるのである。考え方はいろいろあると思うが、個人的には免許をちゃんと取った後で臨床実習は行うべきだと思っている。
免許のあるバイザーが監督しているので大丈夫。という理屈で言うなら、医師免許のない学生にあなたの心臓の手術させますか?って話です。当然させませんよね~。
言葉を逆手にとって、リハビリぐらいどうせ死なないんだから、学生がやっても大丈夫だよ。とおっしゃるのであれば、療法士と言う国家資格自体の存在意義が問われるということになる。
随分前から、実習担当療法士の資質(人間性)や教育水準については、問題になってはいた。
確かに酷いのがいるのも確かだが、どこの業界でも、2:6:2の方式である。すっごくいい指導者が2割。普通が6割。最悪が2割。
最悪の2割を取り上げて、ワーワー騒げば、一生懸命やっている8割の療法士たちに申し訳がない。
個人的には、実習において、パワハラやモラハラ、セクハラとハラが多くなえれば、多くなるほど、教育は成り立たなくなってくると思っている。学生が楽して実習が終えられ、勉強もしないで国家試験が受かるのであれば、そんな資格ははなからいらない。
(実際に私自身としては、セクハラやパワハラと言われたことはないが、学校の実習指導研修でしこたま言われる。セクハラとかうるさいので、女子学生はとったことがないが、最近は男子生徒でもセクハラと騒ぐ輩がいるらしい。恐ろしい。)
学生迎合型の指導を学校側から強要されるので、実習生受け入れを随分前に止めた。
「遅刻するな」「ちゃんと実習に来い」と学生に促しただけで、パワハラと言われ、移乗動作やテクニカルな指導をする際、理学療法士は必ず患者の体に触れる。学生にやって見せる際、学生に触れただけでセクハラ。「実習に来ないんだったら、学校に連絡するね」と言えば、モラハラと言われてしまうのではないだろうかと、想像するだけで恐ろしい。
そんなんことが現実に起きるとすれば、実習にならない。
一度学校に私が実際に言われたのが、「規定時間外の指導はしないでください」と言われたことがある。
つまり、どういうことかと言うと、学生は9時から5時までの間の実習を2か月とかっていう形で来る。
9時から5時は仕事の真最中である。指導なんかする時間もなければ、フィードバックする時間もろくにとれない。時間がない中で、助言ぐらいは規定時間内にするが、それでも十分なフィードバックは就業時間内には取れないのである。
するとどうなるかと言えば。就業時間の終えた6時から指導時間となる。こちとら、患者を診ながら学生の面倒を見ている立場からすれば、わざわざ残って親身になって指導したら、「フィードバックが長くて帰れないから嫌だ」と学校に学生が言う。すると学校が慌てて、こっちにクレームをつけてくる。また逆に、おざなりなフィードバックで適当にやったらやったで「親身になって見てもらえない」と学生からクレームが入る。すると、学校から連絡が入って「ちゃんとしろ」的なクレームが来る。
いっておくが、学生がいくら来ても、こっちはサラリーマンなので一円にもならんのだ。通常業務をすべてやってからの学生のお相手なのですよ。親身になったらなったで、クレーム。適当にやればクレーム。全て学生本位。
なんだかな~。(阿藤快風に)
彼らが将来診るであろう患者さんたちの不利益にならないように必死になって後輩たちの指導をしているだけなのだが・・・。
学生の指導員になる療法士は、実習要綱を丸暗記するぐらい読み込んで、学生の指導をしている。学校側が高いレベルを求めてくるから、自然と厳しくならざるを得ない部分が出てくる。(ちゃんと寝なさいとか、時間通りに実習地に来るんですよ。とか・・・)もっと緩い感じで要綱を作っておけば、こっちだって、ゆる~い実習ができる。指導要綱が、高いレベルを学生に求めすぎだと思う。
そもそも、実習担当療法士に資質がどうのと言っているが、学生がどうなのか?という点に新聞記事は全く振れていない。夫婦喧嘩のどちらか一方の言い分しか聞いていないようなものだ。
まぁ、一つの事象をこねくり回して、魚眼レンズで映して、より面白おかしく書くのがエンターテイメントニュースペーパーです。と言われればその通りなのだが・・・
学生の中にいるんですよ。レポートは書いてこない。ことあるごとに実習を休む(実習期間の休める日数ぎりぎりまで、すべての学生が実習を休む)。態度も悪く、実習中に勝手にタバコを吸いに行って帰ってこない。ってのが・・・
それでも、実習を合格させるのか?
ということを問いたいだけなんですけどねぇ。
(私の場合は必ず学校の担任を呼んで、学校で決定してもらうようにしてもらっている。)
一定の基準は必要だ。
「言われたことができる」とか。
(朝ちゃんと実習地に来る。とか、レポート提出日までにレポートを提出するとか。休み時間は1時間とか・・・・)
「患者に対して失礼極まりない態度をとらない」とか。
(ベッドの上の患者の上着を足で跳ねるとか、検査の途中でどっかいっちゃって帰ってこないとか。患者さんにキレちゃうとか等々信じられへんことを学生さんはやってくれるんです。)
そんなこんな、治療以前の学生の資質に対して、誰がどう指導してきてくれるのか?
(なぜか、私のところには学校の問題児ばかり実習に送り込んでくる養成校があった。勘弁してくれや~)
我々実習指導者は学校の先生でもなければ、親でもない。
礼儀作法や決められた時間に実習地に来るといった、社会通念・一般常識すらない学生にどう対応するのか、養成校できっちり整理して頂いたうえで、各学校には学生を臨床実習に出してもらいたい。
また、楽したいだけの学生に迎合しなければならないような実習ならする必要もない。実習を学生目線に合わせてしまうと、「楽して単位だけくださいよ~」がほぼすべての学生の切なる願いである。
そんなところに合わせると、寝たきり患者が増えるばかりか、療法士自体の存在意義がなくなるのではないだろうか?
私のところでは臨床実習はすべて学生に評価を可視化できるように工夫していた。
感情的な評価採点ところ(取り組む姿勢的な評価項目。そんなの数値化できない)は、アンフェアーになりやすいので、できるだけ排除するようにして(可視化できないものは、ダメなのかもしれんが、学生本人に聞いて、学生の言い値で評価していた)
遅刻一回減点幾ら、欠席は減点幾ら、初期評価等の学校規定にある提出物の提出を一日遅れたら減点幾ら。
徹夜はしちゃ駄目!
ご飯はちゃんと食べる!
とか言う風にね。
勿論病欠なら医師の診断書提出とか決まり事を細かく徹底的に決めて、実習していただく。問題が少しでもあれば、直接本人には言わずに、すぐに学校に連絡。教員がマッハで飛んでこれる養成校しか受けなかった。(笑)
教育制度の見直しや、実習制度の見直しはやった方がいい。そもそも、勉強したくない学生は初めから、臨床実習に来るべきではないのだ。
臨床実習生は当分取らない。世間がハラ、ハラ言っているうちは、よっぽどのことがない限りもう学生なんて、教えてあーげない。(笑)
若手バイザーさんに先輩からの助言です。臨床実習のバイザーをやるうえで一番大事なことは、「愛」です。バイザーは学生がこれから先診るであろう、未来の患者さんに対する責任感と愛情をもって接する心を教えるだけの係です。先輩から受け継いだ「愛」を後輩に伝える愛の伝道者であればいいだけなのです。
後輩たちに両手を広げて満面の笑みで伝えましょう。
「理学療法はこんなに素晴らしい治療法でっすよーー!!」
と。
(実習生時代の思い出が、「いじめられた~。」しか感想のない方は、もう少し時間がたてば分かってくると思いますよ(笑))
愛をもって治療する心。愛をもって指導する。厳しさという愛の表現もある。ほめそやして導く愛もある。愛に答える愛もある。
バイザーは決して学校の先生ではない。ましてや、学生の敵でもない。ただ後輩を思う、その道で生きてきたただの先輩方である。
私も臨床実習では地獄を見た世代の人間ではあるが、自分が実習生をやっているときは、鬼畜、悪魔とおもっていた担当指導療法士の気持ちが10年20年と時間がたって分かってくる。
バカな学生(私)を必死に何とか使いもんになるようにと指導してくれていたんだなぁ。と、今では感謝している。でも、当時は死にそうでしたけどね。人格否定から指導が開始されますので・・・。当時はそれがマジョリティー(笑)
今だったら大変な事になりますよ。
私が学生時代に受けた地獄の臨床実習話をし始めたら、本ができちゃうので今日はこの辺で(*- -)(*_ _)ペコリ
京都「微風台南」へ。
いま京都で人気の台湾料理店「微風台南」へランチにいってみた。人気があるから並んでるかもって前情報・・・入れるかな?少し心配しながら午後2時ごろについて平日なのに客席はほぼ満席。でも並ばなくてよくてほっとして。
店内にはちゃぶ台がいくつか置いてある座敷と土間にあるテーブル席があってなんだか小さなちゃぶ台(ひっくり返せそう)がかわいくて座敷に座ることにした。
メニューはどれも美味しそうで目移りするけれどここはやっぱり孤独のグルメで井之頭さんが台湾でたべていたルーロー飯(台湾風豚バラ煮込みごはん)をオーダー。店員さんのおすすめでランチセットに。(おかず三種とスープ付き)それから美味しんぼで士郎さんが作っていたツォンユーピン(台湾ネギ入りパイ)も。
ルーロー飯は以前に自宅でもできるかなぁと作ってみたのだけれど何しろ本物の味をしらないので適当につくった前科が・・・今日は本場のルーロー飯の味を知り、今後の家庭料理にいかすつもり。
料理をまってるあいだも店内の内装に興味津々!京町家を利用した店内に台湾のインテリアが上手くマッチしていてエキゾチックな気分にひたっているときましたツォンユーピン!
お腹がすいていたのでとにかくほおばるとパリッと本当にパイみたいでそのあとにモチっとした食感。美味しい美味しいとほおばっているとルウロー飯がやってきた。今回煮卵、油豆腐のトッピングはなしで。ノーマル。でもショウガと高菜みたいなものがそえてある。
アルミのレンゲがなんだかおしゃれで次のキャンプ道具の購入リスト入り決定!
三種のおかずは蒸し鶏、から揚げと桜エビのはいった野菜炒め。スープはちょうどよい味の濃さでカラダにすっとしみこんで。
ルーロー飯は日本人なじみの醤油砂糖の味なのでご飯がすすむすすむ。ショウガがいい感じにアクセントになって美味しかった!ごちそうさまです。
美味しかったから今度はまた別のメニューを食べにこよう♪また行く理由ができるってすごい。
「微風台南」をあとにしてこれからどこへ行くとかきめてなくて鴨川に床ができはじめてるのを眺めたり。そんなこんなで もっと早く帰る予定だったのに予想外の雨で(天気予報は確認するべき!)ゆっくり帰ることにして駅前のまだ入ったことのないカフェに飛びこんでみた。
おもった以上に素敵なカフェで災い転じて福となすとはこのこと酸味がすくなめの豆を店員さんに選んでもらって、きょう食べた台湾料理のメモを忘れないうちにサクッと書きとめてあったかいコーヒーを大きなマグで。
医療従事者がこっそり教える検査キットのポイント。
「おうちでドック」
こんなのが出始めたんですね。ピロリ菌検査なんてのもありますが人間ドックとは!
1万5千円から2万円 程度で自宅で検査ができちゃう。
病院で待たされるのが嫌、病院そのもの行くのがちょっと気が引ける、、、
また忙しい人にはとーっても便利な検査キットですね。
そして・・・。
おうちでできる検査キットにはとても重要なポイントがあります。それは・・・。
ということで、自宅用検査キットを用いる際の二つのポイントをご紹介します。
ポイント①
「診断」してくれる医師を知っている。
くわしく検査をしたあとその検査結果を「相談」でき、ちゃんと「診断」してくれるお医者さんを探せるか。(知っているか)
いくら検査をしても的確な「診断」がなければ、ただの数値でしかない。もし、がんの数値が高いとして、ちゃんとがんの診断ができるお医者さんを探しきれるのかが、一番大事なところです。
適当に近所の病院に持って行って、
「まぁ、歳だからこんなこともありますよ」
と適当な診断しかしてもらえなかったら、2万円をどぶに捨てたようなものです。
信頼できるお医者さんを調べるか、知っているかが一番大事なところです。
ポイント②
検査結果により選択的に詳細な検査を受けることができる。
例えば検査キットで出た数値で、炎症反応が強く出ていたとする。すると、お医者さんが、血液検査だけでは確認できない画像検査をしてくれます。
つまりどういうことかというと人間ドックでやみくもに検査をするのとは違い的確なポイントとなる検査を「医療保険」を用いて検査してもらえる。
これは凄い「お得ポイント」です。
人間ドックだったら医療保険は当然使えないので高額な自費になる。しかし「病気かもしれない」となれば病院で「医療保険」が使えるのです。
素晴らしい!
でもまぁ、返す返す言いますが、自宅でできる検査キットを用いる場合、検査結果の「相談」ができる、検査結果をみてちゃんと「診断」できるお医者さんを間違いなく探せるかが、いちばん大切です。
ということで検査結果がでたあとどうするかが鍵となりますっ!以上、医療従事者からこっそりお伝えしたい自宅用検査キットのポイントでした。
ぁ、それから取扱説明書をしっかりと読んでから検査に挑んでください!間違って使用するとまた病院で一から検査のやり直しになりかねません。
グッドラック♪
もってるだけでうれしくなっちゃう「付箋」(ふせん)
お小遣いをついつい無駄遣いしちゃう「ふせん」
文房具屋さんやステーショナリーコーナーで「なんじゃこりゃ?」っておもうのを発見するとほしくなっちゃう。百均でもおしゃれなのやかわいいのがふえたから見てるだけでも楽しいよね。(けっきょく買っちゃうけど)
きゅうきゅうな仕事の合間になごみたい、とかだれかをたのしませたいとか自己満足なアイテムではあるけれど、文具なんてすべて自己満足なアイテムだとおもってるから、どんどんつかっちゃえってことで。
ノーマル、ポストイット
イエロー(クリーム色)が伝言メモや覚書につかいやすくてすき。
uniのボールペン、スタイルフィットとの相性もよくってブルーブラックやレッドをよくつかってる。
コクヨ ふせん 超徳用 75mm×125mm 100枚×5冊入 黄 K2メ-75125Y
テキストなんかのしおりのかわりにお世話になっているのが「スリム見出し」
邪魔にならないおおいきさだし、なによりかわいいちびっこ。
住友スリーエム ポスト・イット 25×7.5mm 再生紙スリム見出しミニ 715RP-K 【5個セット】
かわいい癒し系、「coco fusen」
仕事がマンネリ化してきたとき、ちょっと気分がのらないなぁっていうときこういうのあるとうれしいよね。これを貼っただけでもうおしゃれさんになれる。
ケースにはいっているからふせんが曲がったりしないのもいいし、デスクに台紙ごとはっておいて定位置をきめておくと「ふせんどこ?」ってならなくていいのもすてき。
coco fusen(ココフセン)【ブルー】 CF-1001
男子使用注意!の「モーレツふせん」
まえからほしくて倉敷に旅行へいったときにみつけて、かってしまったもの。
みてのとおり冗談のつうじない職場などで男性がつかうとセクハラ行為にあたるかもしれないという危険なシロモノ。
ウィットにとんだ人ならつかいこなせるはず。
ナンシー関のモーレツ!付箋 ナンシー関 付箋 文房具 倉敷意匠計画室
いっぱいはりたい「サポーターふせん」
監査があるときのチェックとかレポートなんかをかくときに参考ページにはるとかこんなのはってあると、がんばれそう。
残業のおともだね。
平和堂 付箋 背中まである ふせんするサポーター チームグリーン UHF010
ちょっとした気持ちをつたえる「こころふせん」
ちいさな熨斗のついたふせん。手書きのふせんをそえてもいいけど、たまにはこういうのもいつもとちがっていいかも。
マルアイ 付箋 こころふせん ありがとう 20枚入×5セット KF-4x5P
時短ができる「捺印ふせん」
「ねぇどこ押すの?」「え?どの書類ですか?ここですけど」「あ、ここか」なんて会話よくあると思うけど、忙しいときはこんな会話が煩わしくてイライラすることある。押印してほしい人も押印する人も時短ができて余計なイライラが減っていいよねコレ。
マルするふせん ご捺印2 S2813661 捺印してほしいところに貼れます サンスター文具
(上から時計まわり)
- ダイソーで買った翠色のふせん。粘着力が意外と強いからはがすときに紙がやぶれることがありました。そっとはがすか大切な用紙にははらないように注意。
- パンツ見えてます(汗)モーレツぅなふせん。
- セブンイレブンで買った黒猫がかわいいふせん。ことりバージョンもすてき。
体罰
時折、降って湧いてくる体罰騒動。
いやぁ。体罰。ありますよね~。普通に。
今のご時世。とも思いますが、それにしても、学校側が「知らないおじさん」と言ってのけたのには驚きを隠せない。
そもそも、学校の先生と言うのは何を勘違いしているのか知らないが、自分のことを偉いと強烈な勘違いをしている人種である。
私は、学校の先生が大嫌いである。ドラマで、「熱血〇〇」だとか「3年B組〇〇先生」「グレートティーチャー〇〇」だとか、素敵極まりない先生がテレビドラマではわんさかさーっとおられるが、私は残念ながら、長い人生で一度もそう言う類のすんばらしい人間性の先生にお会いしたことがない。
(いないから、ドラマになるのでしょうけどね)
小学校時代は、男性教諭と言えば、黒板に線を引く長さ1mほどの物差しを長剣のように背に背負い、バシバシ生徒をしばき倒していた。首根っこをつかまれて、教室の棚に投げ飛ばされた同級生は流血して失神してしまった。
一応騒ぎにはなったが、結局その教師はお咎めなし。
中学になると、体罰は当たり前のようにエスカレートした。
平手、グーパンチ、教師が生徒を取り囲んでのリンチ。当たり前の風景すぎて、誰も気にも留めなかったぐらいだ。
中学の時と言えば、自転車通学でヘルメットをかぶってなかったとか何とか教師にいちゃもんつけられた同級生が担任にしばきあげられ、頭から流血して失神したという事件が起きた。
当然教師にお咎めはなく普通に教師を続けていた。その事件以来、生徒たちの間では、「自転車に乗るときにヘルメットをかぶるのではなく、教室でヘルメットを被らなきゃいけないんじゃねぇか!!」と言っていた。道路より危険なのはむしろ教室の方であると皆の意見が一致していた。それぐらい当時の教師は野蛮で暴力的だったのだ。
高校生になれば、さらに教師の体罰はエスカレートした。廊下で目が合うだけで殴られ、首根っこを引きずって階段の踊り場まで連れて行かれ、タコ殴りにあった。夏休み明け、眉毛をほそーく、おされしゃんにしてきた同級生は男性教師に抑え込まれ、油性のマジックで両津勘吉にされていた。丁寧に脱毛していたそり込みもヘルメットのように直角前髪に描かれていた。
それが当たり前の状態だったことから鑑みると、今なんて少なくなった方である。しかし、「教師」と言う生き物の体質は戦前から何も変わっていないのが現状ということだろう。脈々と続く先輩方からの遺伝子を受け継ぐ、若人たちが、量産されているのだから。
モンスターペアレンツだとか、言われているが、「教師」がかつてしてきた報いだと私は思っている。
当時学生だった殴りに殴られた世代が親になり、
「あのにっくき教師どもから、我が子を守らねば!!」
と、ただ単に思っている親御さんが多いからではないだろうかと推測している。
因果応報である。
当たり前に続く「体罰」は今も昔も変わらずあるということだろう。
学校と言うところはイバラの道なのである。