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アキラとアキラ、男女ふたりのユニットで運営しています。医療介護、グルメ、アウトドア、文具など書いています。

不思議なお金儲け。

最近、理学療法士や作業療法士の中で、将来不安からなのか、「副業」という形の副収入を得る方法をやおら模索している雰囲気が盛んになっている。

 

昔ならば療法士免許を取れば、ある程度安定した収入を得られる職業だったのが、医療保険改正のたびに医療費削減の名のもとに下げ続けられるリハビリテーション費のあおりを受けて、「安定」という神話が崩壊してきている。と感じている人が多いということだろう。

 

副業と言えば、単純に今までであれば定時まで一つの病院で働いて、時間外に他の病院や施設へ。または、非常勤で学校で。なんてのが普通だったが、現代はネット社会。情報社会。ネット上でアフェリエイトや知識をお金に変えて副収入を得ようなんて方法も出てきた。

 

ほ、ほう。そんなお金儲けの方法があるのか~。と感心してしまうほどだ。

 

 

ネットを見ていると、「肩こりを解消する方法」「寝違いを取る方法」「医療改正の要点」「筋膜リリースの要点と方法」なんてのが、な・な・なんと有料で売られているじゃあーりませんか。

 

「そんなの知りたい人いるの?へぇ~。需要と供給の関係が成り立っているのか~。」

 

と感心してばかりである。

 

はたまた、他の療法士がやっているセミナーにケチをつけているようなのもある。そんな記事が、なんと有料。

 

ん~。凄い時代になったもんだ。 私のようなステレオタイプの人間の理解をはるかに凌駕している。

 

情報はネット上で幾らでも落ちている「情報」と言うのは、お料理で例えるなら、食材の一つに過ぎない。それをいかにどのタイミングで、どの場面でどうやって使うかが「治療「」なのである。今日は暑いから少し、塩味と酸味を足してみよう、この人は酸味が苦手なので、薄めにいれて、さっぱり感だけ残してみよう。ってなぐあい。

 

療法士がやっている実際の場面で当てはめてみると、今日は患者さん機嫌が悪いから、まずは、機嫌を治してもらえるように大好きな昔の武勇伝の話を振ってみよう。痛みで、動作性が低下しているから、除痛から今日はやってみようか。除痛の方法はコミュニケーション療法を中心に考えると物理療法より徒手療法でやってみよう。徒手療法だと痛みで機嫌が悪くなっているなら、できるだけ痛みが出ない関節包内運動と筋膜リリースを少し加えみるか。

 

てな塩梅。天気や家族関係、仕事。いろんな要因で体の不調はできている。何から出ているのかを精査して天気や湿度等々によって理学療法はどんな治療法を使うのかが変化する。

 

「情報」=「食材」

 

なのである。大根やごぼうが何たるかを知ることは無論大事なことだが、理学療法において一番大事なのは食材(情報)を料理(不調・不具合の改善)にすることである。いくら大根やジャガイモをよく調べても実際においしい料理ができなければ、患者さんにとっては意味のないものなのである。

 

徒手療法の〇〇法なんてのは、東洋医学のツボで例えるなら、「合谷押しときゃ歯痛が治るのだよ」的なもんである。歯医者から言わせれば、そんなツボ押しても齲歯は治りません!って怒られちゃいますよ。(笑)

 

でも、歯が痛くてどうしようもなくて、今この場だけ、この瞬間だけ歯痛を止めたい!なんて場合には、齲歯は治らないが、合谷で「痛み」は一時的に多少軽減する。中国4千年の歴史がそれを教えているのだ。(それだけじゃないですけどね。(笑))東洋医学・西洋医学問わず、どんな治療法でもタイミングと「情報」を組み合わせる技術が必要なのです。

 

「情報」をそのまま「治療」だと勘違いしている人が多い。 

 

決して、「情報」=「治療」ではない。

 

例えば、お薬の情報はネット上でいくらでも調べることができる。しかし、薬の効能や副作用をいくら知っていても決して医師の行う治療はできない。免許の問題を言っているわけではない。薬をいくら調べても、いくら情報を収集しても、症状のどのタイミングで、どの量を入れる。この薬とこの薬の組み合わせは・・・。と細かく組み合わせていけば、数千、数万通りの組み合わせになる。「情報」だけでは、数万通りある組み合わせを職人さながらに一人一人の患者に合わせて処方する訓練を何年もかけて行う「医師」にはなれない。ということです。

 

まぁ、情報はちゃんと使えるようになって初めて、「技術」になるのです。「情報」だけ知っていても「治療」はできないってお話でした。(笑)

 

 

 

 

為末大さんの「按摩・マッサージ免許なんてなくして誰でも使えるようにした方がいい」って話について

 

400mハードル日本記録保持者で、現在はスポーツコメンテーターの為末大さんのTwitterである。

 

マッサージは言葉の意味が多様化しているので、「国家資格」と言われてもピンとこない人が多いということだろう。為末さんもその一人と言える。

 

2980円のマッサージ店でマッサージを行っている人のほとんどは無免許の人だ。スポーツの世界だって、スポーツトレーナーさんたちは、マッサージ師免許なんて持っていない。風俗店でも〇〇マッサージなるピンクの看板をよく見かける。無論。無資格。

 

つまり、マッサージなんてもんは誰でもできるのだ~。

 

ってことに世間ではなっている。

 

その一般的な感覚で行くと、マッサージ師が「国家資格」っていうのに逆に違和感を感じる人もいるのだろう。

 

言葉のイメージと資格の意味が違うことを一般の人は知らないのでこのような議論が出てくるのだろう。

 

簡単に言うと、按摩・マッサージと言う手技を用いて、治療を求めるかリラクゼーションを求めるのか?の違いである。

 

世間一般的に使われている「按摩」「マッサージ」の意味は、リラクゼーションを意味する。リラクゼーションつまり、「気持ちのいいもの」を指す言葉である。なので、風俗店でも「気持ちのいいもの」としてマッサージの言葉が使われるのである。

 

スポーツの世界で用いられるマッサージは、筋肉の疲労を癒す。筋肉の張りを和らげて体を楽にする。という意味でマッサージと言う言葉が使われる。

 

つまり、2980円のマッサージ店や風俗店でつかわれる「マッサージ」と言う言葉は、「慰安」「和み」「安楽」を意味する言葉であり、対象が健常者である。

 

スポーツの世界では「マッサージ」だけではなく、必ず「ストレッチ」が入ってくるので、必ずしも「慰安」だけではないが、対象が健常者であることには変わりない。

 

一方国家資格である按摩・マッサージ師が用いる、按摩・マッサージは「治療」である。対象が患者なのである。

 

ここが大きな違いだ。

 

健常者に施されるリラクゼーションに医療的知識、障害論的知識はほとんどいらない。なので、国家資格はいらない。しかし、病気を患った人を治す「治療」に対しては、国家資格が必要。というお国の判断である。

 

なので、患者に行われる「治療」には医療保険が適応となる。

 

健常者に施されるリラクゼーションには医療保険は適応とならない。

 

これが一番大きな違いである。

 

では、この「治療」と「リラクゼーション・慰安」との違いは何か?

 

ということになる。健常者と患者の違いであることは、先ほど述べた。健常者に行われる手技と患者にに対して行われる手技の違いってあるの?

 

ってことが気になるところである。

 

健常者に行われる「リラクゼーション」は「気持ちがいいもの」である。一方「治療」は、障害を治すための手技なので、全然気持ちよくない。「痛い、しんどい、辛い。ものである」という違いがある。

 

按摩・マッサージ=気持ちがいいもの・楽になるもの

 

のイメージはすべて、「リラクゼーション」的なマッサージであるということです。

 

痛い、しんどい、辛い的な負の感情が目白押しなのが「治療」ということになる。「痛くならない程度で止めるのが治療になるのだよ。」と言われるマッサージ師の方もおられるだろうが、それはあくまでも痛みに対する痛み反射を起こさせないという意味であり、気持ちのよさは関係ない。

 

医療保険下における、按摩・マッサージ師さんの役割は、「拘縮」の除去である。

 

脳梗塞、脳出血、生活不活発病、肩関節周囲炎、ALS、ギランバレー等々何らかしかの病気を患って、関節が拘縮を起こしてしまった患者さんに対して、お医者さんが「もう薬でも手術でもどうにもできないので、よろしく」って言われた場合に関節拘縮を改善する技術が医療保険下における按摩・マッサージ施術である。

 

なので、病理学や障害論等の医学的知識をしっかり勉強した人でないと「拘縮」を改善できない。ということで、「国家資格」が必要となっているのです。

 

「治療=拘縮改善」は「慰安=リラクゼーション」とはかけ離れたところに有る技術なのである。

 

柔道整復師は「ケガの応急処置のプロ」鍼灸師は「痛みの治療のプロ」按摩・マッサージ師は「拘縮改善のプロ」ということに医療保険下ではなっている。これらの療養費区分技術者はどれも、対象が「患者」「障害を負った人」の治療となるため、医療保険が適応となるのである。

 

医療保険下の「按摩・マッサージ」と健康な人に「慰安」を提供する「按摩・マッサージ」とは似ても似つかない全く別の技術であるということである。

 

ただ、言葉が一般化しすぎているので、医療保険下でいう「按摩・マッサージ」の言葉の意味と、世間が用いている言葉の意味とが乖離している。

 

為末大さんの言っておられる、誰にでもできる云々。マッサージ機云々。というのは、「慰安・リラクゼーション」を目的とした世間一般的な「按摩・マッサージ」を指す言葉での解釈で展開されている論評であり、医療保険下の意味での「治療=拘縮改善」と言う意味での按摩・マッサージのことではない。

 

為末さんのTwitterに按摩・マッサージ師さん等の業界の人たちが、誰でもできるといわれて憤慨する気持ちは分かるが、為末さんはきっと、医療保険下の按摩マッサージと慰安の按摩マッサージの意味の違いをご存じないのだろう。

 

為末さんだって、自分が脳梗塞になってマンウェルニッケになった時、病気のことや障害のことを全く知らないズブの素人に治療してもらいたいとは思わないでしょうから(笑)

 

「慰安」を生業にしている按摩・マッサージ師さんも実際は多いので、「治療」と「慰安」の違いが一般の人に分かり辛くなっているのも事実。療養費区分の技術者は按摩・マッサージ師だけなく柔整師、鍼灸師の中にも慰安的な按摩・マッサージを治療と称して行い、医療保険を請求している人も多い。それがまた、一般の人に誤解を生むことになっているのではないだろうか?

 

接骨院でいうと、「捻挫」「骨折」「脱臼」「挫傷」の治療に対して、どうして「気持ちのいいマッサージ」が必要?看板に「肩こり」「腰痛」って書いているのはなぜ?骨折術後の術創の瘢痕を伸ばすためのマッサージで気持ちがいい理屈はどこ?

 

鍼灸院でも鍼と灸を用いて「痛み」を取るのに、どうして「気持ちのいいマッサージ」が必要?揉まなくても硬結に打てばいいのでは?遠隔治療でどうして肩もみが必要?

 

按摩・マッサージ師さんにしても「拘縮改善」をうたっているにもかかわらず、改善が何年も見られないのはなぜ?患者さんの感想が「気持ちよかった~」しかないのはどういう理屈?痛みを出さない関節可動域を広げるための手技もあるが、決して気持ちのいいものではない。

 

私の私見でいうならば、「治療」を終えた患者さんの感想が「気持ちがよかった~」は不自然極まりない。鍼灸治療で「鍼響」が死ぬほど好きなマゾ的な患者さんならまぁ、そういう感想もごくまれにあるかもしれないが、殆どの患者は針を刺されまくって「気持ちよかった~」とはなかなかならないだろう。

 

「気持ちのいい」治療なんてのは存在しない。

 

療養費区分の有資格者が気持ちのいい「慰安・リラクゼーション」で医療費を使いまくるのであれば、そんな資格は無用の長物。それこそ為末さんの言う通り、誰でもできるものにして、医療保険適応を外したほうが、国のためになる。

 

為末さんのTwitterに反論している有資格者の人たち。「国家資格」云々というのであれば、無資格の人とは違うのだよ我々は!と医療従事者として国民に胸を張って言えるように共に頑張りましょう。医者が無資格でもいい。っていう人は少ないでしょうから。患者さんに「無資格の人と違いが分からない」といわれないように有資格者は「国家資格」の名に懸けて、日々勉強し国に託された症状改善のための技術を研磨し続けなければならない。そして、医療費削減に貢献しよう。

 

また、「誰でもできる技術」と為末さん(一般の国民)に思われていること自体が、療養費区分の有資格者が今までリラクゼーションに偏ったビジネスモデルをしてきた証拠だと私は思う。

 

私は按摩マッサージ師さんではないが、非薬物療法が否定されるのはなんだかなぁとおもってしまう。

 

医師の行う薬物療法と観血的治療だけでは人の治療は決して行えない。非薬物療法と薬物療法・観血的治療は治療の両輪である。

 

薬物療法と観血的療法のみの治療だと人間は「人」でなくなってしまうからだ。非薬物療法に対する理解の低さが日本と言う国を世界一の寝たきり大国に押し上げているのである。

 

医療の治療体系がこれだけたくさんある国も珍しい。しかし、医療コーディネーターがこの国にはいないので、国民は右往左往している状態なのである。

 

医師は決して医療コーディネートなんて面倒くさいことはしてくれない。市役所等のお役所ももちろんしてくれない。ケアマネだって医療のことは毛嫌いして知らぬ存ぜぬの人がまだまだ多い。

 

ならば、どうするか。自分でするしかないのだ。

 

数多ある医療制度を読み込み、組み立てる能力がなければ、自分の体一つ治療できない。

 

医療保険のほんの一角に過ぎない療養費区分ひとつとっても、その人たちが医療の何を担っているのか?何が得意なのか?病気を患った自分にどんな有益な治療を施してくれるのか?すべて熟知しておかなければならない。

 

この国で適切な医療を受けるにはそれ相当の知識が必要ということです。「〇〇任せ」では、寝たきりになっちゃいます。年々伸び行く平均寿命に対して、健康寿命はここ何年も伸びていない。寝たきり20年の日本国に住んでいる以上、生きていく上で必要な知識だと思います。お勉強してください。(*- -)(*_ _)ペコリ

 

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安価で足底板療法(インソール療法)を受ける方法

以前ブログで少し書いたがちょっと掘り下げて書いてみようかと。

 

akiragoyou.hatenablog.com

 

最近、足底板やオーダーメイドの靴を作成して生業にしようとする療法士が少しづつだが、増えてきている。

 

我々理学療法士は、歩行のプロである。人の歩き方を見て、どの筋が優位になっているとか、人それぞれの歩き方による関節の負荷量や不具合を見て取れる学問をめちゃんこ学ぶ。

 

その理屈から行くと、「なるほどね。靴ね、靴底ね」な商売と言えるだろう。

 

理学療法の理屈で行くと、靴やインソールは、装具。ととらえる。装具療法は理学療法の最も得意とする治療法の一つだ。

 

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学生時代、石膏包帯で足をぐるぐる巻きにして、阿鼻叫喚の中、ノミで石膏を破壊し、短下肢装具を作ったり、カッタイ、発泡スチロールの板を電動やすりで削ってインソールを作ったりしまくった。

 

異常歩行に対して治療する一手段として学ぶのだ。

 

そこで、開業権のない療法士が活路を見出すために、特技を用いて現金治療として「インソール&靴」という発想になっているのだろう。

 

商売をするのはいい。むしろ応援している。療法士の職域拡大に貢献してもらいたい。

 

しかし、しかしである。ここで、ちょっとした疑問が出てくる。

 

インソールは装具療法になるので、医療保険が適応になる。

 

つまり、お医者さんに行けば、3割~1割の負担で作ってもらえちゃうのだ。

 

それを、どうして現金で高いお金出して作るのか?作る人が本当にいるのか?という疑問がぬぐえない。

 

健康な人は医療保険が当然使えない。なので、「歩き方をよくしたいから」「キレイな歩き方をしたいから」と言う人は、現金で作る。という理屈なのだろう。

 

でもですね・・・・。

 

ここだけの話、「膝が痛い」とか、「歩くときにふらつく」とか何とか医者で言って、「インソール作ってくっださーーい!」って、かわいく言ったら、たいていの医者は「はいはい、そうですか」っていって、作ってくれる。

 

病名なんて適当にこさえてくれる。

(ここが日本の医療が崩壊に向かっていっている原因なんですけどね。医者も商売だから、めったなことでは断らない。(笑))

 

でもまぁ、現状そうなのだから、消費者は安くてインソールを手に入れることができるのである。

 

近所のクリニック(医院)にいって、医者に一声かけてもらったら、義肢装具士がすっとんでくる。

 

数週間でオーダーメイドの足底板が出来上がってきていっちょあがり。である。

 

世界でも類を見ないこんなに恵まれた、ざるでしょうがない医療制度のある日本にせっかくいるのだから、医療保険を使わない手はない。

 

それなのに現金でインソール?商売としてなりたつのだろうか?

 

ちょっと心配。でも、町中で理学療法士が靴屋さんをやっていたら、

 

「兄ちゃん頑張りや」

 

と声をかけてあげて下さい。(*- -)(*_ _)ペコリ

 

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私の靴。インソールとは全く関係ないです(笑)

 

 

カバンの中身

今週のお題「カバンの中身」

 

そんな人のカバンの中身なんて誰が興味あるんだよ~。

 

普通だよ。普通。

 

でもまぁ、今週のお題だから、やってみよう。

 

一番重いやつから、教科書。今は病理と解剖が一番かさばっているかな?経絡経穴ってのもあるなぁ。今日の朝までは道路交通法の教科書も入っていた。

 

次に重いのが筆箱。ハサミとか色々入っているので結構重い。

 

ノートパソコン。わいはい。携帯。アイコス。

 

アイコスを掃除する道具。十徳ナイフ。栓抜き。鍵。手帳。クリアファイル。

 

普通でしょ。普通。

 

1番鍼から5番鍼。お灸。(良もぐさね。良もぐさ)アルコール綿花。(ひとつづく梱包されているやつね。使い切りタイプのやつ)灸点紙。(あちち、になったら嫌ですからね~。この間、せんねん灸使ってみたんだけど、お値段が・・・高い!費用対効果が~。ってことで、灸点紙)丸形シャーレ。舟形シャーレ。円皮鍼。メジャー。ゴニオメーター。白衣。

 

まぁ、そんなところだろうか?

 

特別なものなんて何も入っていない。みなさんといっしょです。そんなもんじゃないですか?普通ですよ。普通。(笑)

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福田さんはいい人?悪い人?

headlines.yahoo.co.jp

 

東大卒のエリート官僚が「セクハラ」とやらで、辞職。

 

なんだかなぁ。

 

そのクラスのお役人さんと言えば、日本の頭脳、天才中の天才なわけです。

 

国を動かすような大仕事をやっている人が。

 

「おっぱい揉まして~」

 

の一言で、引きずり降ろされるなんて、なんてもったいないことをするのだろうこの国は。と、思ってしまうのは私だけだろうか?

 

大阪の釜ヶ崎や十三当たりの親父たちなんか、毎日のように「おっぱい~」ぐらいのことは、真昼間から言っている。あの、経済効果の全くないオッサンたちは、よくて、日本を動かすような人は駄目って理屈が私にはわからない。

 

セクハラを受けた女性が女性官僚で福田さんの直属の部下で、仕事の立場上福田さんに逆らえない人だったら、「おっぱい揉まして~」はセクシャルハラスメントとしてりっぱに、成立すると思う。ゆるさまじである。

 

しかし、女性記者は福田さんと上司、部下の関係性がない。セクハラは基本的に成立しないのでは?と思ってしまう。

 

ラーメン屋さんのアルバイトの女の子が酔っ払いのお客さんにちょっとエッチなこといわれて、

「セクハラだ!!!!」

と騒いでいるようにしか見えない。

 

女性記者が福田さんのところに行くのが、いやならどうして一年半もの間、福田さんのところに通い続けていたのか不思議だし。無理やり何らかしかのことを福田さんにされたのなら、痴漢罪や暴行事件としてどうして訴えなかったのかもわからない。

 

男性からすると、女性はそこにいるだけで花があります。

それはなぜでしょうか?

そこに立っているだけ、座っているだけでも、男性はセクシャルな感情で女性を見るからです。当然です。普通のことです。「カワイイ」「キレイ」「素敵」はすべて、セクシャルな言葉と言えます。なので、CMでもちょっと、布地の少ない服を着たかわいい女性がわんさかさー出てくる。オッサンしか出てこない入浴剤のCMなんてほとんどない。どうしてか?

それを、綺麗な格好して、香水の一つも降り、可憐な動作、所作の一つもまとっていて、それで、男性に口説かれれば「セクハラ!!!」と騒ぐのは、ちょっと酷なのではないでしょうか?

 

セクシャル(性的)な部分で、相手が自分を見ていると気づいたのなら、性的にみられない努力をしたのかどうかって話です。例えば、上下ジャージで髪はグシャグシャ、お風呂だって一週間ぐらい入らず、顔に泥の一つも塗っていくぐらいの努力をしたのかってことです。仕事なのだから、異性にもてるような恰好、言動、行動を一切取らなかったのか?ってことです。

 

もし、女性記者が会社の圧力で「福田んさんのところに行かないとクビだ!!」って言われていたり、直属の上司に、「美味しいネタ貰えるんだから、おっぱいぐらいいいじゃない。ちょっと揉ましてあげれば?」と言われたとするなら、それは、パワハラ、モラハラ、ハラハラハラショーー!

 

ってな塩梅で会社相手に徹底的にやってこましてやったらいいのではないだろうか?労基だって、全力で助けてくれますよきっと。

 

訴える相手が違うような気がしてならない。そろそろ森友学園に飽きてきた野党の差し金で、福田さんがやり玉に挙がっているような気がしてならないのは私だけだろうか?

 

ハニートラップにセキュリティーの甘いエリート官僚が引っ掛かっただけなのではないのか?(お勉強ばっかりしてきたから、その手の女子的なトラップに異常に引っ掛かる習性が官僚にはあるとか?)そんな男子の本能(弱み)に付け込むやり方は、むかーーしから、政治家のお家芸である。

 

エロ親父なんてのは、いつの時代もいるもので、男子がエロくなければ、当然、人間はとっくの昔に絶滅している。

 

生物学的にオスは誠心誠意、力いっぱいエロイものなのだ。ゴクラクチョウを見ろ!!あの必死のダンス!必死すぎて涙がこぼれてくる。鮭を見ろ。必死に命がけでエッチして死んじゃうんだぞ。カマキリだって!!!

www.gizmodo.jp

 

もし、人なんだから社会性というのであれば、大脳皮質が本能を制圧しなければならない。

 

それならば、見方を変えて考えてみよう。

 

セクハラ発言なぞといって、20年近くもの間セクシャルハラスメントの解釈を拡大し続けてきた結果どうなったか?

 

モラハラ、セクハラ、マタハラ、パワハラ。とハラハラ現象の核分裂により、日本のオスの大脳は進化を遂げ、とうとう、女性を口説かなくなった。(階段状進化ってやつですね。フィンチで有名なあれです。)

 

結婚適齢期男性の結婚率が年々雪崩を打って下がっている。その結果が少子高齢社会である。ハラが一つ増えるたびに、子供は生まれなくなる。

 

100年後には日本の人口は6000万人程度になると推測されている。江戸時代と同じ人口ですね。人口予測が出ているんですよ。そうなるんですね~。ハラハラ言ってると。

 

え~っと、少子化の原因が子供の生みやすい社会とか何とか政治家の人たちが票集めでいろいろ言ってますが、子供が爆発的に生まれているところって、どこか知ってます?

 

喰うものもままならず、戦の絶えないアフリカ大陸です。爆発的な人口増加をし続けているんですよ。

 

第一次ベビーブームが起きたのは約70年前。戦後日本列島が焼け野原だった時です。当然福利厚生なんて何も整備されていない。

 

「戦後強くなったのは女性と靴下」といわれるようになり、はや70年。

 

女性が強いのは平和の証とーってもいいこと。

(戦のなかった江戸時代の女性はかなりかかあ天下だったそうです)

 

でも、あんまりハラハラ言っていると大和民族は、絶滅危惧種になっちゃいますよ~。

 

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徒手療法にしか興味を持たない治療家たち

ちょっとがっかりさんなエピソードが続いたので、書いてみようかと・・・

 

「理学療法で鍼灸師や柔整師でも使える知識とかあったら、セミナーとかやったらどうですか?」

 

と、養成校の鍼灸師の先生に言われたので、最近私が講演してきた内容を少しかいつまんで話した。

 

これからの地域包括ケアシステムで療養費区分のあはき(按摩マッサージ師、鍼灸師)柔整師がどうやって社会資源として活用できるか?

 

というようなことを話し始めたところで、先生方は興味が一気に失せたようで、その場にいた先生方は蜘蛛の子を散らすように去っていった。

 

私的には、療養費区分の削減を厚労省が推し進めている昨今。あはき、柔整師は今後もっと、経営難になっていくだろうと予測している。それを、打破する方法はただ一つ、医者にかかるより、私たちの方が費用対効果がいいですよ~。と厚労省にアピールするしか手はない。そこで、大事になってくるのが、国が推し進めている包括ケアシステムにどうやって潜り込むかが、療養費区分の人たちが生きていく唯一の活路となる。

 

柔整師、鍼灸師協会の上の部分の人たちは、危機感をもって、どうやって、地域包括ケアシステムに潜り込むかを必死で考えている。

 

その協会の努力が今回の介護保険改正の鍼灸師の機能訓練員としての認可だろう。

 

しかし、現場の第一線でやっている柔整師や鍼灸師は全く、制度設計的なところには興味を示さない。

 

治療手技にしか興味を示さないのである。まぁ、それも分からなくはないが、治療手技に偏れば偏るほど、障害論から外れていく。国はADL第一主義と揶揄されるように、介護保険、医療保険を使わない国民を作ることに躍起になっている。しかし、療養費区分の人たちが、治療手技に偏れば偏るほど、患者の手技依存が助長される。

 

柔整師に使う療養費4000億円をなんとか無くしたい国の方針とは真逆の方向に行っていることになるのだ。

 

また、以前もブログで書いたが、痛みの除去、関節可動域の拡大は、単品ではADLの向上にはつながらない。治療効果を発揮しないのである。

 

療術師さんの行う手技は患者さんの満足度は高いが、国の求めているものではない。業界の未来を考えるとき、制度ビジネスをやっている以上国の方針は無視できない。

 

そこが、どうしても療養費区分の人たちには伝わらないのである。

 

学生レベルでもそうだが、授業で、立ち位置やラポール形成術なんぞを少し、話すことがあるが、学生も手技にしか興味を持たないので、ラポール形成なんぞは、勝手にできるものだと思っている。

 

リラクゼーションであれば、それほど小難しいラポール形成術を使わなくてもいいかもしれないが、「治す」ためのラポール形成術はリラクゼーションのそれとは大きく異なる。「治療」に用いる場合、ただの信頼関係形成ではなく、ADLを向上させるための、コミュニケーション療法も入ってくるからである。患者さんがやりたくないことをやらせる技術と、患者さんが気持ちがいい事だけを提供する技術では全く違うということですね。やる方としては、後者の方が圧倒的に楽だが、障害は治らない。

 

セラピストの立ち位置、手の当て方、目線、患者との距離。患者さんの懐に入ったら、患者教育に在宅の環境設定、フォーマルサービスとインフォーマルの活用等々。ラポール形成を焦ると失敗するし、時間をかけすぎると障害はどんどん悪くなる。絶妙のタイミングでドンピシャっと全てがうまくいって初めて、理学療法が成り立つ。そのことを少し伝えてみようかと思うのだが、学生があまりにも興味を示さないので、私も同じ学生ということもあり、あまり突っ込んで話さない。

 

しかし、治療手技に対してはみんな興味津々で耳を傾けてくる。変な話?

 

AKAやCI法、神経筋促通法、ディジョックにマイオセラピー等々。どれも同級生の目はランランに輝く。

 

しかし、しかしである。これらの治療手技は理学療法のうちのほんの一つに過ぎない。手技だけでは絶対に障害は取れない。

 

でも、学校の先生を含め、同級生の全てが、手技にしか興味を持たない。

 

これでは、患者は治らないし、国からも「あいつら使えなくね」と思われてしまう。そうなれば、どうなるか?

 

簡単である。保険適応を外されるのである。

 

そうならないためにも、手技だけではなく、もっとリハビリテーション論を学び、活用しなければならない。リハビリテーションというのは、治療法ではなく、概念である。鍼灸や柔整の授業でもリハビリテーション論はあるが、では、鍼灸師や柔整師、あんまマッサージ師が具体的にICFのどこに入って、何をする職種なのか?地域包括ケアシステムの中で、どんな役割を担うのか?は教えない。

 

個人的には末席ながら、療養費業界を憂いている今日この頃です。

 

腕があるから医師や看護師。理学療法士、臨床検査技師等々の医療職が喰えているわけではない。日本の医療システムに即した動きをしているから喰えているのである。

 

治療者の手技に対する思いは尊いが、ことさら、食べていく(収入を得る)ことと、手技の巧い下手は直接は殆ど関係がない。一部そういう人もおられるが、みんながそうなるとは限らない。鍼灸師の例でいうなれば、国民の4%しか受けたことがないようなマイノリティーでの背比べなんて、ほとんど意味がない。

 

業界の有名人は入るとは思いますが、「指圧の心は母心~。押せば命の泉湧く~」でおなじみの浪越 徳治郎先生のようなスーパースターがいますか?

 

そういうのを作らないといけない。

 

鍼灸ってこんなに皆さんに役立つ技術なんですよ~。怖くないですよ~。もっと使ってもらったら、費用対効果が医者にかかるよりいいですよ~。って、みんなで声を大きくあげないと。

 

いつまで、神秘の秘技ぶっているんですか~。EBMの時代ですよ~。得意の統計学的エビデンスでいいと思うんですよね~。もっと宣伝しないと。みんながハッピーになれるような世の中にしないと、合格率50%の難関の国家試験をせっかくとっても、浮かばれませんよ~。

 

柔整師だって、いつまでもグレーゾーンにおんぶにだっこだったら、しんどいでしょ。震災なんかがあったら、現地に一番に駆け付ける柔整師協会さんはいつもヒーローに見えます。スゴイです。ケガのプロなんだったら、どうしてケガの多い、小学校や中学校等の学校配置とかを目指さないのか不思議でならない。欧米ではそういう運動系の係が学校に配置されているんですよ。

 

社会を動かさないと、自分たちの立場は変わらない。とはいえ、今自分にできることを精いっぱいやるってのも手だが、視野をちょっと変えてみるのも手かもしれませんよ。(笑)

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